蒲生城跡(城)(蒲生町)[2006年04月07日(金)]

蒲生城跡(城山公園)
鹿児島県姶良郡蒲生町久末

蒲生の町並みを一望できる広大な場所
蒲生城は、城の地形が龍の伏した姿に似ていることから、龍ヶ城とも呼ばれ、周囲8kmの大規模な山城だ。
東に建昌、帖佐城、西に北村城、南に吉田、岩剣城、北に山田・松坂城等七支城を備え、難攻の称高き堅城であった。
豊前国宇佐郡から蒲生院にくだった上総介舜清の山城といわれ、蒲生氏は代々この城に居住したという。
戦国時代、島津氏に拮抗する勢力を誇った。

蒲生城全体図
島津貴久による「三州平定」において、蒲生17代範清が弘治3年(1557年)4月20日城に火を放ち、祁答院良重の城に逃れるまで、実に435年の居城だった。
また、この蒲生城の陥落により、大隈地方西部はほとんど貴久の勢力下にはいり、この一連の合戦を、蒲生合戦、あるいは大隅合戦と呼びます。

本丸跡の図
〜看板より〜
日本の山城は一般に曲輪(くるわ)が多いが、その中心部をなす、曲輪を本丸というのだ。
中世に山城が用いられた時代には、本丸はその山頂にあるのが普通だったそう。蒲生城の本丸は標高1625mにあり、五段の連廊(れんかく)になっており、土塁及び、仕切門跡を留めている。南東には、馬場跡と称する所があり、当時は馬術の訓練をしていた。本丸城より多数の土器や陶器の破片が出土している。仕切門跡には、若干の石積みも見られ、土台らしき平石(自然石)も見つかっている

二の丸跡は展望台あり。
現在、蒲生跡は城山公園(じょうやまこうえん)となっていて、大手門を登ると、正面右側の大岩壁に1700個あまりの梵字がきざまれているそうだ。
残念ながら、今回はここには行けなかった。次回行ったときにレポートにしたい。
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