加治木島津家の墓、能仁寺墓地(歴史・史跡)(加治木町)[2006年06月09日(金)]

加治木島津家の墓
(能仁寺墓地)
鹿児島県姶良郡加治木町日木山(加治木〜隼人の境目近く。離合箇所のところに看板有り)
加治木島津家についてをまとめると・・・
◆本家に次ぐ格式の高い家柄
本家第24代重年、第25代重豪は加治木島津家の4代と5代
3.6代久微の名山楼詩集は有名加治木島津家の墓が
国道10号線のすぐ横にあるのをご存知でしょうか。加治木町の案内板には、能仁寺墓地と書いてありますが、やはり加治木島津家と書いたほうが
ピーンとくるでしょう。

森林浴?
入口から入ると、木々に囲まれた林の静けさが・・・とても車が多く走っている場所の横とは思えません。
石畳は雨の日はすべりやすい
のでご注意を

鳥居をくぐって墓があります。
加治木島津家は、寛永8年(1631年)、18代太守家久の第3子又八郎(忠朗)が島津義弘の遺名により、その隠居領の地に一万石を給せられ創立した家です。
加治木島津氏は、一門家の筆頭として本家に次ぐ格式の高い家柄で加治木島津家から、本家を相続した第24代太守重年(4代久門)、第25代太守重豪(5代久方)がでています。また、6代の久微(金水)は「名山楼詩集」をあらわすなど加治木の文教振興に尽力しました。
『名山楼詩集』とは
・久微の作を伊藤瓊山(いとうけいざん)が校訂し、1800年に刊行したもの。 ・9人の清国人が序・跋(ばつ)などを付しており、薩摩の近代文化を知る上で貴重なもの
・七言、五言の古詩、律詩、絶句など漢詩総計572首
・年代の確実なもので、宝暦14年乃至は明和元(1763)年13歳から、安永9(1780)年30歳までの詩を収めています。
・『名山楼集二編』は、七言、五言の古詩、律詩、絶句など総計589百、年代の確実なもので、天明7年(1787)36歳から、文化4年(1807)56歳までの詩を収めています。
・『名山楼詩集』の序跋の作者朱芝岡、■硯雲、沈■綸、呉鳳詔は、当時長崎に来航した清朝人です。
・『名山楼詩集』の版木61枚は加治木郷土館に現存し、
県文化財に指定されています。
薩摩の丸十時紋が印象的
島津とはいっても、本家をはじめ、鹿児島の各地に宗家がいるのです。その中でここ、加治木島津家はて本家に次ぐ格式の高い家柄。
そして、本家を相続した方もいます。それが第24代重年、第25代重豪。重豪の治世は江戸中期から後期にかけてと長い期間であり、その後の島津氏の方向性を、さらには結果として日本の方向性までも決定づけることになります
島津重豪といえば。。
・天文館を作った人!
〜
明時館(現:天文館)を設立し、
暦学や天文学の研究を行なっています。・ローマ字を書き、オランダ語を話すこともできたといわれています
・江戸時代後期の薩摩の文化で最も重要な人物。本草学・医学・蘭学など様々な新しい文化を吸収し、各種博物学書を編纂し出版させました
・27代斉興まで実質の政権を握っていました
。・文化の発展、有名大名との交流から薩摩の地位を高めたが、同時に薩摩の財政を圧迫させました。
案内板です。クリックで大きく
能仁寺は、忠朗によって万治元年(1659年)般若時跡(端山)に建てられましたが、その後、寛文10年(1670年)に現在位置に移転しました。
ここには初代忠朗から11代久賢までの墓があります。
ただし2代久薫は木田の長年寺に、4代久門、5代久方は本家を相続しましたので、鹿児島市の福昌寺墓地にあります。

町の文化財初代忠朗と6代久微の墓
初代忠朗と6代久微は、昭和44年に町の文化財されています

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