白猪がいる!和気神社(霧島市牧園町)[2006年04月26日(水)]

和気神社
鹿児島県霧島市牧園町下中津川和気清麻呂公がこの地に住んでいたことに由来しています。

【和気清麻呂(わけきよまろ)公】
奈良時代末期から平安時代初期の転換期に活躍した高級官僚です。
天平5年(733年)備前国藤野郡(現岡山県和気町)生まれ。
<有名なのは・・・>
道鏡事件
平安遷都の立案(これにより平安時代になりました)
<他に・・・>
桓武天皇の信任を得て近畿地方の河川改修や開削を行って治水に努め、数多くの土木工事を成し遂げた。
美作・備前国造として郡民の負担軽減を図るなど民生の安定と発展に努めた。
摂津大夫、民部大輔、中宮大夫、民部卿を歴任し、常に誠実に業務をこなした。

狛犬の代わりに猪がいます
道鏡(どうきょう)事件とは
発生は769年(和気清麻呂は37歳、近衛将監時)
僧弓削道鏡という人物がおり、仏教政治がはびこるのを利用して政界に入りました。当時の天皇である女帝の考謙(重祚して称徳)天皇は道教を大変気に入っており、太政大臣に、次いで法王という位までつきました。
こうなると人間欲が出てくるもので、天皇の位を望むようになりました。(別説で子供のいなかった称徳天皇が道鏡を天皇にしたいとしていた説も、実は皇位は狙ってなかったという説も)
そこへ、九州大宰府の主神(かんずかさ)習宜阿曽麻呂(すげのあそまろ)が朝廷に
「道鏡を天皇の位につければ天下は太平となる」
というお告げ(神託)をもたらしたのです!!
こんなことを言われても簡単には天皇にはなれません。
そこで、神意を確かめるために使いを出すこととなります。その役に和気清麻呂公が選ばれました。
宇佐神宮から帰った和気公は
「君臣の秩序を重んじ、皇位には皇統から選び就けて、無道の人を除去せよ」
を神意として言上しました。
つまり、全く反対の内容(道鏡を除くべし)です。むろん、
死刑覚悟です。。
これは、道鏡に政治を私物化されてはならないという強い至誠の心からでした。
当時の大部分の人が道鏡への譲位に疑問をもっていたにも関わらず、左大臣以下だれも彼と同じように声に上げて反対しなかったのです。抗議をしたのは和気公たった一人です。
そして、この活躍により道鏡が皇位につくことはありませんでした。しかし、当然道鏡はよく思いません。恨まれます。
そして、あえなく大隅国(現鹿児島県)に流罪となりました
しかし、天皇も他界し、後ろ盾のなくなった道鏡の失脚により都に呼び戻され、平安遷都など平安時代の礎を築く重要な役割を担いました。
この類をみない危機に立ち向かった清麻呂公の行動・精神は日本史上に一筋の光彩をはなっています。
和気神社看板キャラの白猪のアイちゃん
【なぜ亥なのか?】
道鏡により大隅国(鹿児島県)に追いやられることになったが、皇統のご安泰が得られました。このことを感謝するために、再び宇佐八幡へ参詣しようと向かっていったら、なんとどこからともなく約300頭の猪が現れて、御輿の前後を守りながら八幡宮までの道を無事に案内したのだそうだ。
以来、猪は和気清麻呂公の随身、神使として崇められているのだそうだ。
ちなみに、明治32年の亥歳に発行された旧十円紙幣には表面に和気清麻呂公の肖像と、書面に猪を刷り込んであり、この紙幣は「いのしし」とも呼ばれていたのだそうです。

坂元竜馬とお龍の新婚旅行記念碑
2006年の吉日に完成しました

累計
今日
昨日





鹿児島のお店、HP等です
ドッグサロン(ペットの癒し、グルーミング等)のME&MY DOGです。自分のかわいいワンちゃんを是非連れて行って下さい♪



鹿児島関連のサイトを掲載します。希望のメールはこちらへ
他のブログの記事です
Blog Peopleに登録


